【いつも蕎麦にいるよ】五杯目 JR上野駅『いろり庵』

【登場人物】
三浦信五(45)ミシンメーカー営業

【登場そば屋】
JR上野駅 新幹線乗り換え口『いろり庵』
せいろそば ¥600-
生ビール 中ジョッキ ¥570-

「ただいま……」
言ってみたところで返事はない。
一人暮らしなので当たり前なのだが、長年染み付いた習慣をしないのは気持ちが悪い。
練馬駅徒歩7分のワンルームマンション。家賃は6万8千円。
こんな暮らしがいつまで続くのか……終わりが見えない。

地元の郡山には妻と10歳になる娘を置いてきている。
いわゆる単身赴任というやつだ。
高卒で今の会社の郡山営業所に就職した。
ミシンの営業という右も左もわからない業種だったが、必死になって働いた。
20代半ばで、ようやく一人前になれたと思えるようになった。
営業先の繊維工場で知り合ったのが妻だった。
交際5年で結婚し、数年後に娘が生まれた。
それを機に、夢のマイホームを建てた。
65歳まで支払う30年ローンだったが、なんとかやっていけそうだ。
そう思っていたのだが……。
5年前に郡山営業所が閉鎖することになった。
俺は東京の本社に転勤することを命じられた。
転職も考えたが、その時すでに40歳。
いまさら他の仕事なんて、できる気もしない。
家賃補助も出るというので、俺は単身赴任することを選んだ。

コンビニ弁当を開けながら、ネット配信の『ウォーキング・デッド』を再生する。
シーズン1から見始めて、ようやくシーズン6まできた。
あんなに強かったゾンビも今ではサクッと殺せてしまう。
まるで仕事のようだ。
20代のころは大変だった仕事も、今ではサクッとこなせる。
ビールも開けて、晩酌しながらダラダラと見続ける。
行く先々で困難に巻き込まれるリックたちの幸せは一体どこにあるのだろうか……?
ちょうどシーズン6が終わったところで、再生を止めて、俺は布団に入った。
単身赴任にはもう慣れたが、やっぱり虚しさを覚えることもある。
家族と離れ、ただただローンを返すために働く日々。
俺の幸せも一体どこにあるのだろうか……?
そんなことを考えているうちに、いつの間にか眠っていた。

次の日。
いつもどおり仕事を終え、まっすぐ家に帰る。
サッと身支度をして、再び家を出る。
今日は金曜日だった。
家族の待つ郡山へと帰る。
本当に待っているのかどうかはわからない。
家に帰っても、とくに喜んでいる様子はない。
それでも俺は毎週末に郡山に帰っていた。
東京にいてもとくにすることもない。

池袋で山手線に乗り換えて、上野駅に着いた。
ここから新幹線に乗換える。
その前に寄る店がある。
新幹線乗り換え口の目の前にある『いろり庵』。
ここでそばを食べ、一杯飲んでから新幹線に乗るのが、最近の日課だった。
席に座り、せいろそばと生ビールを注文する。

まずはビールを一口。
炭酸と泡が喉を刺激する。
家で飲むビールとは別格の旨さだ。
そばも一口。
ズズッと噛まずに飲み込む。
コシのあるそばが、するりと食道を通っていく。
そばもビールも、のどごしが全てと言って過言ではないだろう。
ここで味わうそばとビールが、俺を仕事モードから週末モードへと切り替えてくれる。

あっという間に完食し、新幹線に乗り込んだ。
新幹線なら1時間ちょっとの道のりだ。
座席を倒してウトウトとしているうちに、郡山に着いた。
家に着いてドアを開ける。
「ただいま」
「おかえりなさい」
すぐに妻が出迎えてくれた。
あぁ、家に帰ってきたんだ。と、実感する。
人は「おかえり」と言ってもらうだけで幸せなのかもしれない。
週末だけの帰宅だが、帰る家があるだけで俺の人生はマシな方だろう。
「キャー!!」
リビングから娘の悲鳴が聞こえて、急いで向かう。
テレビ画面を見て、俺は笑ってしまった。
娘が『ウォーキング・デッド』を見ていたのだ。
しかも、昨日俺が見ていたシーズン6を。
シーズン6まで見ているのに怖がる娘が微笑ましい。
俺は娘と一緒にリックを応援した。

あっという間に日曜の夜になった。
最終新幹線で上野駅に到着した。
改札を通ると『いろり庵』が目に入った。
次にここでそばを食べるまで、5日間の仕事をがんばりますか。
俺は山手線に乗り込み、練馬の駅へと向かった……。

<終>

JR上野駅 新幹線乗り換え口『いろり庵』


東北新幹線の乗り換え口にある『いろり庵』。
広々とした店内で、酒も飲めてゆっくりできるのが魅力!
喫煙所もあるので、新幹線に乗る前に一服するのもいいだろう。
値段もそこそこするが、そばの味もグレードが高い。
コシのあるそばで、のどごしがいい!

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